今回は関西社会学会第70回にあたるため、これにちなんで記念シンポジウムを開催いたします。
テーマ「社会学は死んだのか?−社会に関する知の行方」
趣旨
一般的には、sociologieという単語の考案者は、オーギュスト・コントだといわれているが、最新の研究では、それは18世紀の司祭にしてフランス革命の「仕掛人」シエイエスに帰することがわかっている。その後フランス革命後の社会秩序の混乱をいかに改善するかという課題を答えるため、「科学」のひとつとして社会学が確立されていったが、はたして、西ヨーロッパの「社会」を素材として抽出された理論は、どこまで普遍性を持ちうるのか。
社会学の外部に眼を向けると、「西欧中心史観」ではない新たな「世界史」概念を提示する歴史学者が現れている。また、鳥越皓之は、日本の社会学者は、欧米の社会学理論を摂取していても、そこから外れる部分を認識せざるをえず、国学とそれをある意味受け継いだ民俗学の方法に回帰する傾向があったと指摘している(『生活環境主義のコミュニティ分析』)。
ただ、西欧発社会学の社会モデルが西欧という特定の地域に準拠していることを批判し、より普遍的な知を求めるなら、今日生起している かつてないような状況についても捉える必要がある。東アジアは、世界資本主義経済で重要な位置を占めると同時に、かつてない急速な少子化に直面している。また、科学は、既成の人間観を覆すような「先端的」研究を進めている。たとえば、脳の記憶のデータ化に関する研究が進んでおり、これによって記憶を他者の身体に移し替えることや、記憶を売買することが可能になれば、個人の記憶そのものがあいまいになる。そのとき、知識の創造と習得はどのようなかたちになるのか。未来の知のあり方を捉えるような研究が必要となっている。それができなければ、社会学は死んでいるといえよう。
以上のような問題意識に基づき、社会に関する知がどのように向かうのか/向かうべきなのかについて、広く討議することを本シンポジウムの目的とする。
報告者
- 井上俊
- 関礼子(立教大学)
- 筒井淳也(立命館大学)
- 赤江達也(関西学院大学)
討論者
- 樫村愛子(愛知大学)
- 松田素二(京都大学)
司会 荻野昌弘(関西学院大学)
(研究活動委員長 荻野昌弘)